FC2ブログ
補完代替医療、統合医療について、治療風景、セミナー情報、ホメオパシー、セラピー、愛娘、愛猫♪などなど
代替医療 - 補完医療 - 大阪の皮膚科医 ドクター奈津のひとりごと
医療ルネッサンス
2010年 09月 13日 (月) 15:30 | 編集
今日は、医療ルネッサンスについて、現状フィールドワーク日。
なんだか毎日忙しい。

とある会場を二件はしごする。ちょっと前癒しフェアなるものに二か所行ったが、会場というより、ブースの中を回っていて、激しい頭痛と気分の悪さに退散したことがあり、ちょっと今回も恐怖はあった。癒しとか言うけど、もう現世利益の欲の渦。売る方も、何かを買ったり受ける方も・・そういうのが狭い処でひしめきあっているのは、アンチ癒し以外の何物でもなかった。少なくとも私には。。だいたいあんな公衆の面前の騒がしい処で、手を当てられたり、占われたりして、本当に心地よいのか??一件目はそういうのと違うと思って行っただけに、会場で物販がものすごいのにちょっと引く。
しかし、講演は私の大好きな出口光先生・・・・(うーん、プリンスですう)うっとりと聞き惚れて、まあお昼には会場を後に。
午前に、なんと私の住む八尾の故甲田先生の絶食療法の映画が上映され、ちょっと驚く。だって、到着前に不食の時代に関したブログ書いたばかりだったから・・

またまた余談だけど、一度子供に聞いたことがある。「あんた、肉しか食べないけど、ママ、野菜も食べなさいって言うけど、他の人ほどあんまりうるさく言わないでしょ。不思議に思ってなかった?」そうなんです。一応私も親としていろいろ注意はしているんです。
「野菜食べんとブスになるで」ぐらいまでの脅しはしています。そして、私よりもっと他のサポートしてくださる方々のほうが彼女に厳しく注意してくださっていると。
一度お世話になった沖縄の鍼灸師の先生は、相当厳しく言われたみたいで「また沖縄においでって言ってくださってるよ」と子供に聞いても、「・・・」と返事をしなかったぐらい。(理由は野菜を食べないといけなかったらしく・・ごめんSさん)
私がそこまではうるさく言わない理由は二つある。一つは私自身の子供時代のトラウマにあり、私は幼少期のころ逆にお肉が全然食べれず、親に強引に口に入れられ、のみこむまで見張られ、口を手で封じられたことがある。その時の肉の味のまずさ、脂が口に広がる感じ、のど越しの気分悪さは筆舌に尽くしがたい。飢餓体験もひどいだろうが、強引に飲食を強要されるのも虐待のひとつだと思う。それゆえ、注意するにとどまるということにしている。
もうひとつは、直感的に、この人は(あ、子供のことです)ある時期から自発的に逆にベジタリアンに転じ、その後逆に肉食しなくなるという勘がある。実際私自身今までの人生総じてベジ派だけれど、肉は食べれたり食べれなくなったりを繰り返している。まあ、体づくりの今は肉を食べていてもヨシとしているわけ。そのうち、一切れの肉で十分、ごちそうさまでした・・となる時期が来る。

話は戻り甲田療法。私は、甲田先生のところに通ったことはないが、先生の本は読み、見よう見まねで実践してみたこともある。いい方法だと思うが(自己治癒力を上げるという方針のものなら私は大賛成である)、誰でもできるものではないと思う。実際ドロップアウトする人、逆にとんでもない方向に行ってしまう人もいるのを目の当たりにしている。生前の甲田先生は、私が言うのもなんだけど、本当に風変わりな方だった。あれだけ変わった治療法(一般の現代医学からしたら)のカリスマ的存在でありながら、きちんと八尾の医師会に出席なさっていた。その時、あまりのガリガリの痩せ様、そして靴下をズボンの上にひっぱってはいておられるのもちょっと目が点になった。じっとまっすぐ前を向いておられて、何か現世と違うものを見ておられるようだった。治療メソッドは私とは違うけれど、本当の治療に命をかけられた本当に尊敬する方である。ご冥福をお祈りしたい。

二件目は、本当に久しぶりのトラパ学会で、明治大学まで。対談を聞く。だいたい思っていること、水面下に起こっていることの感知に関して私と相違ないことを確認はするが、こちらは学術的とらえ方で、ちょっと具現化に弱い印象を抱いた。それは、会場に集まる人数に比例すると言おうか。私には非常に慣れたムードであるが、そうであるほど、これは学者のマスターベーションになってしまう危惧を抱く。論じているだけでは何も変わらない。
最後に、もう帰ろうかなと思っていたら、なんだかトラパのセッションを受けて人生が変わった的なプロではないアマチュアというか、患者さんというか、そういう方の自己体験みたいな話になり、最初何が言いたいかあんまりわからず腰を浮かせかけていたが、だんだん引き込まれ、最後まで聞く。正直本日の講演で一番リアルだったのは彼である。トラパのいいところというか本髄は、もちろん個を超えることであるから、彼の体験は我々の体験でもある。講演者も聴衆も隔たりはない。だからこそ、しめの講演が彼であったのだろう。
今日の朝の会から通して、そしてたぶん私自身も、何か講演をするとき、講義をするとき、そしてオフィシャルにものを言う時、常に自分の立場からものを言っているのであり、私自身から言っているのとはちょっとだけ違う。少なくとも今日の最後の彼は、できるだけ彼自身から発そうとしていたように思う。

彼の話の中に、人生、生きるとは、ふと気づいたら飛行機の操縦かんの前に座らされているようなもので、もう焦りまくって、なんとか操縦しなくちゃ・・てことで、アレコレして・・窓から他の飛行機飛んでいるのを見て「ああ、ああすればいいのか」とか真似してみたり・・それでなんとか操縦して落下を防いでいるけど、実際自分がなんでこの飛行機操縦しているのか、はたまた操縦したいのかもわからないものである。操縦しないと死んでしまうのか手を離してみたこともない。
実際それに気付き、手を離してみて、やっと自分が本当に何がしたいかわかる・・そのうえでやはり操縦したかった時、今度は本当にクリエイティブに操縦を始める。
私はまだガタボロの飛行機の操縦かんを必死になり握りしめている口である。
スポンサーサイト



Comment
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL :
comment :
password :
secret : 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright (C) 代替医療 - 補完医療 - 大阪の皮膚科医 ドクター奈津のひとりごと all rights reserved.
designed by polepole...