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代替医療 - 補完医療 - 大阪の皮膚科医 ドクター奈津のひとりごと
「罪悪感と助っ人根性を手放す」
2010年 10月 28日 (木) 17:17 | 編集
 どうしても、誰かのニーズに答えられないとき、罪悪感をもってしまう。
日本人は比較的こういう傾向が強く、そのため和を尊ぶようなコミュニティーが存続できてるメリットもあるのだが、その背後に無用な罪悪感があるのなら、それは愛で溶かしていきたい。私は比較的日本人的発想ではないほうだが、それでも仕事で・・そして人間関係で、罪悪感はもってしまう。
「ごめん、あなたの気持ちはよくわかるけども、それには答えることができない・・」じっとその気持ちにフォーカスを当てると、胸の前面にその感じが張り付いているのに気づき、そこに手を当ててみる。なんだか、ごめん、ばっかり言って委縮しているような感じ。その部分を十分感じきってから、ハートの奥の方から愛を送ってみる。
「愛は無限で、光のように誰にでも送ることができる。でも、誰かの希望に沿ってそれをこちらから変えたりすることはできない、受け取った側はそれを自分なりに消化するしかない」というメッセージが起こる。罪悪感が溶けてゆく。
 そもそも「原罪を背負った」とか、何?って感じで、人類ずっとなんか罪を背負っちゃってるし、何も自分がした覚えがないことまで。でも、本当はそんなこと思わせるためのキリストじゃないと思う。キリストも罪を背負い、私たちも罪であえぐのなら、何のためキリストが背負ったかわからんじゃん。

助っ人根性と言われて・・・まあ、治療者根性とか、ケアテーカーとか、普通に「優しすぎる」とか、そういう言葉は慣れてたし、そういうのが自分の根底にありつつも、やり過ぎちゃいけないってことはいつもずっと感じてることだけど、「その助っ人根性が、あんたを不幸にするんだ」みたいなことある人に言われて、ドン引き・・すごい言葉やね、って感じで。まあ、でも否定しきれないです。
自分に直接明らかに害なす人でも、「この人はどこを病んでるからこういうことすんだろう」みたいな目線で見てしまい、それがまた相手を余計怒らせるっていうか、「なめてんのか~」みたいに、思われて。そのあたりも、よーく自分の中を見つめてみると、「誰でも救いたい」みたいな阿弥陀如来系がおられるわけなんだけど、それが「誰でも救わねばいけない」みたいに、どこかですりかわっていて・・自分をがんじがらめに。
「もう、あなたはよくやりましたよ。困った人を全部助けなくてもいいです」と声をかけると、「あっそう」とあっさり、助っ人さんは、寝てしまいました。この人は佐川急便の飛脚みたいな感じの人でした。
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