ホメオパシー医・奈津のひとりごと
ホメオパシー診療・治療風景、海外のホメオパシーについて、ホメオパシーのセミナー情報、愛娘、愛猫について、などなど
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子供と遊ぶ

 また子どもと遊んできたよ。今回は神戸花鳥園。猛禽類好きの私としては、ここのフクロウ、ミミズクのコレクションは逃せない。もともとフクロウ好きは亡き母の趣味で、なんだかありとあらゆる各地のフクロウ人形、グッズをコレクションしていたみたいなんだが、私がフクロウにはまったのは、母の死後、猛禽類の勉強をホメオパシーでしだしてからかもしれない。
 とにかく、フクロウの羽は美しい、首をオーメンのようにほぼ180度くるりと回すのも、素敵だし、なんといっても、じーと見つめ合えること、見つめ合っていると、次第に片目のどちらかの瞼がゆーくりと閉じてきたりして、眠たいのか、ウインクなのか。。こういった表情のあるところがなんとも素晴らしい。もし家にいたら、私は老賢者として彼を扱うだろう。「ねえねえこんなことで悩んでるんです」と問いかけてみて、彼はなんだかジーと私の眼を見つめ返す、または両目を閉じてしまう。だけど、そこから勝手にメッセージを受け取り、「ありがとうございました、フクロウ先生」なんてやってるだろう。まあ投影もはなはだしい。実際は、猛禽類を飼うなんてとても難しいだろう。
 神戸花鳥園の後、純和風な昼食をとる。子供は出石の皿そばをペロペロ食べてゆく、わんこそば状態だ。私は板ワサでチビチビやる。時折、子供に、かまぼこを盗まれつつ。最後は、そば湯でしめる。最近結構食事に興味を持ち出している。こんな仕事をしているけど、食事には無頓着なほうだった。というより、健康だけどまずい・・ものが多すぎる、制限されることが嫌い・・ということなんだけど、本当においしいオーガニックの野菜、果物、ワインなどをいただいて、俄然、「健康的でおいしいもの」に目覚めた感じ。今まで食べてた野菜はなんなんだ・・というくらい。以前マクロビ的料理教室に通っていて(一応こういうこともやってました、そう見えないと思うけど)、牛乳を100%制限されている子供を連れて参加されている方がいて、その日のレシピは、牛乳も使うスープで、その子供はうっかりと、それを飲んでしまい、あまりのおいしさに、二杯ぐらいを1分で飲み干す。その後、それを飲んだことを母親に見られ、とがめられるのを目撃し、食事制限されていた子供の盗み食いみたいで、マクロビの堅苦しい世界に、反抗的な気持ちを持ってしまった。そこからは「食べたいものが結果として健康的、無理やり健康的なものを食べる必要はない」と思ってきたが、今回食べ物に関して、新しい感覚がもて、楽しめている。
さあ、今日もポトフを作ろう。

オーノー!!

昨日はひさしぶりに子どもとデートをした。まるまる一日休養日はめったにないので、気合いを入れて観光することにした。なんと、神戸異人館めぐりだ。私は大学時代を神戸で過ごしているので、観光というより私には地元なんだが、子供は初めてなので、観光をやってみることにした。
 なんか最近はパスポートみたいなのを買って、だいたい全部の異人館を回るようになっている。とりあえず、その通りしてみる。子供が「異人館」の意味を聞くので、童謡「赤い靴」を歌って説明する。私は、子供のころ、この歌の曲調は非常に暗いものであるのに、歌詞を「いいじいさんに連れられて行っちゃった」だと思い込んでいて、「良いおじいさんに連れて行ってもらったんなら、いい話じゃん」と一人で思っていた。子供は、「赤い靴をはかないようにしないといけない、連れ去られるから」とブツブツつぶやいている。コンセプトのはっきりわからない建物見学をし、軽井沢的、ふわふわワッフルとか、ドレスに着替えて撮影とか、かなり頭痛ものだが、それなりに楽しもうと努力する。
 子供は、ワッフル、アイスクリーム、ティラミス、プリン、カプチーノ・・とどんどん定番をこなしてゆく。そしてあいかわらずマイワールドを展開する。「うろこの家は行きたくない、うろこが怖いから」何度、うろこの意味を説明しても、もうダメなようだ。かたくなに、その家の前で立ち尽くす。
 まあ、そんなこんなの、異人館めぐりであったが、私の学生のころと比べると、なんだかさびれてる感じであった。中で面白かったのは、ベンの館というところで、巨大な剥製オンパレード、しかも、その家の持ち主の寝室というのが、ハンモックにアメリカのお面というので、「とにかくおれは狩猟がしたいんだー」というエネルギーに満ち溢れていた。狩りがしたいだけで、獲ったものには、興味がまるでなさそうにゴロゴロしているのもおかしかった。こんな、バカげた人間、きょう日最近見かけないよなーなんて思う。ホメオパシーのレメデイー的にはどうなんだろうとか、興味深い。
 しかし、この日、もっともインパクトのあるできごとは(ホメオパシーの質問みたい)異人館めぐりをする前、朝、お店がまだどこも開いていず、仕方なく某Wデイーズというファーストフード店に入ったときのことだ。その女店員さんが驚くべき人で、とにかく怖いのだ。言ってる言葉はマニュアル通りなんだろうけど、口調、エネルギーが高圧的で「ここでは私に従ってもらいますから」みたいな感じで。私たちの前の高齢の方にも「ちょっと、ちょっと、この番号札持っていってくださいと言ったでしょう」みたいな叱る口調。私の番で、机の上に、なぜか100円玉が一個置いてあったので、「あの、これ私たちのじゃありません」とまず私が言うと「ハーン?」と下から上になめ上げてみて、ものも言わず、100円を取る。関係ないことはするなと言わんばかりだ。「あのう、コーヒーください」「3分かかりますけど、いいですかー」「あのう、ナゲットを・・」「5分かかりますけど、いいですかー」返答は確かにマニュアルどおりなんだが、こっちは、別に1分で差し出せと言っているわけじゃないんで、3分、5分ぐらいで、いちいち言われると「なんか、売りたくないんかな」とか、もうちょっとでプチっと切れて「いりませんわ」と言いそうになる。朝っぱらからけんかしても仕方がないので、黙って、受け取る。
ひどい店だが、その時間開いている店がほかにないので、次々客が来て、同じ扱いをつけ、ぐっと耐える。そのとき、ビジネスマンの集団が入ってきて、彼女が同じ対応をしたために、そのうち一人が切れてしまった。彼女の時間の説明に、いらだった男性に対し「皆さん、順番に待たれていますので」みたいな説明で、男が「おまえ、客になんていうものいいや、店長出せ」となってしまった。まあ、彼女も負けてない「おまえとはなんだ!」「私は間違ってない」「私だって一人の人間です」発言も飛び出し、最後には「もう出ていってください!!」と客に対して叫んでいた。
 あわれである。子供ですら、「あれは、どう思う?ママはどっちが悪いと思う?」と乱暴な男性を一方的には批判していない。彼女がどれくらい自分自身自己肯定感がないか、すべて露呈してしまっている・・無残なり。人間はなんでこんなバカなことばっかりしてしまうんだろう、そういう私も違うパターンでこんなことをしている。ホメオパシーが本当に広まることを心から願う。あの人、たぶん仕事辞めたやろうな・・子供「やっぱMドナルドのほうがええわ」・・いや、そういう問題じゃ・・

2/9「今日は日曜日なので」
今日は日曜日なので、子供とサンデーブランチに行く。ホテルのブランチなので、私にはちょっと脂っこいものばかりだろうとおなかの三段バラを気にしながらも、子供が目のないチョコレートマウンテンがあるので、でかける。予想通り、私にはあまりおいしいと感じられるものがなかったが、チョコレートまみれで笑う子供を見るのが楽しい。うちの子は、誰かに似てほとんど考えなしなので、板チョコを買って「わーい」と最初に紙づつみも銀紙包みも皆はがして裸にしちゃう人である。「あんた、それでどうするわけ、これから?」と聞かれてやっと、それが悲惨なことになることに気づく始末である。普段は、汚して食べることで激怒する私であるが、こういう日はなぜか許してしまう。
私はどちらかというとビール派なのだが、日本ではひとつのお店で一種類のビールしかおいていないことが寂しい。イギリス、アメリカでは何種類ものドラフトがあるので、濃いの、薄いのと楽しめる。ビアガーデンといっても、大、中、小と大きさの違いだけ、たまにたくさんの種類のビールをおいている店があるが、缶ビールやボトルビールであることが多い。ビール好きとしてはぜひとも日本に頑張ってほしいところだ。
まあ、こんな食べ物のことばかり書いているのも、今海外なので、少しはこういったものを楽しめる余裕がある証拠だ。日本では、なんとか死なないように、子供を飢えさせないように、こなしているのが悲しい私の現在の食生活なので。日本での生活とアメリカでの生活を比較してみると、前提となっていることが正反対なように感じる。日本では「みな同じ」ということが、そしてアメリカでは「みなは違う」ということが。「みな同じ」というのは平等という意味ではよいのだが、「みな同じでないといけない」となると窮屈さが出てくる。アメリカは良いとか悪いとか二元論を持ち出す気は毛頭ないし、ダークサイドも感じているつもりだが、実際アメリカの乗り換え空港などで、黒いの、白いの、黄色いの・・そして皆アメリカ各地から来ているから、暖かいところから来られている人は真冬でもTシャツひとつだし、毛皮のコートの方もおられる。なんだか、その空間が妙に居心地良いのは私だけだろうか・・これは全くホメオパシーの学習、啓蒙においても同様に感じることなんだが・・

ボストンは雪であった
ボストンは雪であった。ボストンに来るのはたいてい5月か10月なので、ここまで雪があると、運転も怖く、たいした冬支度をしていなかったので、震える結果となった。セミナー参加のためこちらに来たのだが、最近少しずつ現地で患者さんを診察する機会が増えてきた。もちろんアメリカには多くの優秀なホメオパスがいて、私の助けを必要とすることもないのだろうが、何かのご縁や、人間としての相性として、お呼びがかかることがある。私が参加するセミナーは、知り合いのホメオパスのコミュニティーとなっているので、友人ばかりで、毎回同窓会のような趣があり、もちろんホメオパスも自分のホメオパスを探しているので(残念ながら自己治療はできないのです)、AさんのホメオパスはBさんで、Bさんの娘はAさんが診察しているというようなことがある。
大変面白いのは、私が出先のホテルなどで、もし皮膚に関する診察を申し込まれたら、もちろん相当その時急性で何かお困りのようなら、その時の私にできる何かをアドバイスはさせていただくだろうが、通常は「すみませんが、クリニックにお越しいただけますか」ということになる。(往診は別ですが)しかし、ホメオパシーの場合、時間と場所が許せば、「どうぞ」ということができる。それぐらい、ホメオパシーのケーステーキングは、自分にとって役割や、単なる仕事としてのマスクの要素が少なく、素に近いといえる。また、その結果に対しても、最初はクリニックでやるのと同様の結果が得られるのか不安があったが、その不安はすぐに解消した。ホメオパシーのケーステーキングはまさに「出会い」で起こる、その有効率は出会い力により上がる。出会い力というのは、恋愛における出会いと同じようなものをここでは意味していて、まさにその瞬間に、どれだけ集中できるかだと思うのである、ちょっとした相手の瞬きもため息も聞き逃さない、見逃さないというような。こういったパワーは、ちょっと特殊なセッッティングで力を発揮することが多い。「今日この時しか会えないから、その瞬間に自分の中の最高の火花を散らす」というような。
まあ、毎回このような場所でお会いするのは、好ましくないとは思う。患者さんにすれば、やはりきちんとしたオフィスで、他にも患者さんが待ち合い室にいて・・というのは、治療関係を安定化させる要素はあるので。
 思い出したのだけど、私のよく見る夢に、「どこでもクリニック」というのがある。なぜか、予期しないような場所で、診察をしているのだ。時には、村の公民館のようなところ、または大きな体育館、ある時には、畳の和室の場所で診察をしている自分がいる。和室では畳の上にこちらも座り、患者さんも座っている、隣の部屋では患者さんがこれも座敷に思い思いに座って待っている。私の横にはいつものスタッフが全くいつもと同じ調子で患者さんをさばいている・・という。
 この夢の意味はわからなかったし、今でも十分にこれから気づきを得たわけではないが、現実今の私がこれと似た状態になろうとしているのが面白い。

 「私に相談してみなよ」
平成20年11月20日
 「私に相談してみなよ」

 私は元来、ずっと何かを考えている派の人である。今目の前のことと別の何かを。たいていは仕事のことで、それが深まってくると、ぶつぶつ独り言を言うことも少なくない。
先日も、タクシーの中で、子供がさかんにアニメの話をしてきたが、例によって私は自分の中にはいりこんでいて、あいまいな返事しかできなかった。すると、子供が「あ、何かまた考えてるでしょう、私に相談してみなよ」とか言うのである。まあ、ませたことを言うな、と思いながら、本当に相談してみた。
「ママね、なんだかずっと英語でセミナーを聞いたり、患者さんが英語でしゃべってるのを聞いてるんだけど、やっぱり英語だと、言葉として理解しようとしちゃってるんだよねえ、なんかその人の本当の気持ちとかエネルギーを感じるところまでいってない感じなんだよね」
娘「ああ、わかる感じする」(ほんまかいな)
私「で、どうすればいいのかなあ?もっと勉強しないといけないのかな、でも英語勉強するっていうのもちょっと違う気がするんだよね」
娘「そうだね、ママ英語しゃべってるジャン」
「あ、いいこと考えたよ、ママ外国人になればいいじゃん。」
私「え??どういうこと」
娘「だから、外国人みたいになっちゃうんだよ。まったくの、服も髪の毛も。そうだ、ハーフになるんだよ、ママがいつも『きれいだね』っていう」

という会話があり、「いったい、うちの子は何を言うやら」という感じで、その会話は終わってしまった。しかし娘が車から降りた後、一人彼女の言葉をかみしめると、「そのとおりだ」と思った。金髪になることでも、青いコンタクトをつけることでもなく、その人と波長合わせをすることがもっと大事なんだと思った。英語はあまり話せなくても、書けなくてもコミュニケーションの上手な人はいる、「ハロー」とか言って外人と笑い合ってるから「何を話していたの?」と聞いても、「わからんけど話をしていた」という人はたくさんいる。
しかも、ある程度話せる私と話していた時より、その外人はなんだか楽しそうなのである。
まったく同調することでも、自らを失うことでもなく、波長を感じるということが大事なのだと思った日であった。

また相談してみたいと思います。娘に。



プロフィール

Author:Dr.Natsu
渡辺奈津ホメオパシークリニック・院長。

英国の国家資格・Faculty of Homeopathyを英国で取得。世界的レベルのホメオパシー治療を目指し、ヨーロッパ・アメリカ・カナダ・インド等でのホメオパシー研修・セミナーに、今も積極的に参加し、臨床の場で実践する。同時に、ホメオパシー治療を幅広く啓蒙するため、「ホメオパシー私塾」を通して、ホメオパシーの教育にも情熱を注ぐ。



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